現行の会社法では、資本金が一円、役員が一人でも株式会社を設立できますが、
2000年当時、株式会社の設立には資本金一千万円以上、役員四名(取締役三名、監査役一名)以上が必要でした。
音楽界の重鎮X氏を会長に掲げたことで、また、経営コンサルとして顔の広いZ氏の人脈などもあって、役員は僕を入れて十人が揃いました。十分過ぎるほどの人数です(役員の皆さんは、きっと、多額の役員報酬が貰えると期待していたのではないでしょうか? それは全くの期待はずれに終わりましたが……)。
でも、その前に肝心の資本金が全く集まりませんでした。僕が一番やりたい「音楽配信ビジネス」は危険なITベンチャーというレッテルを貼られ、結局、誰にも理解を得られなかったからです。
ある日、会長のX氏に呼ばれ、こう言われました。「おまえが社長で、おまえがやりたいことをやるのだから自己投資だ! 自分で金を集めろ!」と。
「えー! そりゃあないぜ!」と思いましたが、お金を集める当てなどなく、最初は仕方なく身内に起業するのでお金を工面ほしいと相談したところ、多少の協力はしてくれました。それでも、うれしかった! 何も言わずにお金を出してくれるのは、肉親だけです。本当は自分に貯金があればよかったのですが、転職してから給料は未払いになっていたので、わずかな貯金を切り崩し、カツカツになっていたのです。
でも、まだ、一千万円にはほど遠い! 「資本金なんて、最初の見せ金でいいんだよ」ともいわれますが、オフィスを借りてスタッフを雇って、会社を経営していくとなると一千万円でも足りないくらいです。
そして今度は、友人のところを回りました。しかし、長らく付き合いのある友人でも「おまえは信用するけど、お前の周りにいる奴はよくわからないからな」と断られます。ごもっともでしょう。そして、「おまえ、大丈夫か?」と心配もしてくれました。中には「お金は出せないけど、モノだったら」と使わない電話機を譲ってくれたりで、それで経費が浮くので、とても助かりました。
しかし、お金は集まりません。そこで、父親に頭を下げに行きました。実家の父親名義の土地を担保に、国民金融公庫(現・日本政策金融公庫)で資金を調達したのです。
神輿に担がれた挙句、とうとう実家の大切な資産に手をつけてしまったのです。こんな情けない息子に、何も言わず、土地を担保に差し出してくれた父親には、本当に感謝しかありません。
でも、これでなんとか、株式会社として起業できることになりました(このとき借りたお金は数年で返済し完済しましたが、他の借金についた担保がすべて外れるまで十八年!)。
さて、資本金ができたので、オフィスを借りました。最初のオフィスは新宿一丁目。家賃は二十万円。都心のオフィスは、はっきり言って値段の割にとても狭いです。デスクや備品を所狭しと置いて、身動きが取れない状況でした。本棚に詰め込んだ資料や書類がいつ崩れ落ちてくるか、事務所の机も中古品なので取っ手が取れてガムテープで留めたりと、憧れのベンチャー企業のイメージからはとてつもなくかけ離れた現実の中で、二〇〇〇年の夏、会社はスタートしました。それから十五年、しばしば会社の通帳の預金残高が数千円という崖っぷちに立たされながら、社長人生を続けていくことになるのです。
なぜ、起業したけど資金が集まらなかったのか?
どうすれば、資金が集められるのか?
その答えは、 『崖っぷち社長が教える! ピンチを乗り切る「なぜ?」「どうする?」の使い方』 の55~57ページをご覧ください。
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