こんにちは。「崖っぷち社長」こと殿木達郎です。
今日は僕が前の会社の社長を辞めた時の話です。
経営の〝け〟の字も知らなかったミュージシャン崩れの若造が神輿に担がれて起業したとはいえ、十五年も会社と人生の苦楽を共に歩んできたわけですから、社長を辞めるのも、会社を去るのも断腸の思いでした。
そんなエピソードを書籍から抜粋しました。
〝崖っぷち社長〟の僕は、十五年目にして、とうとう「社長」という梯子を自分で外すことになりました。
これまでは、いろんなことが外されてきたのですが、最後だけ、「社長」という梯子は自分で外すことにしました。それが、社長としての責任だと思い、自ら判断したことでした。
その直接のきっかけは、海外事業からの撤退です。すでにお話ししたように、海外事業は僕の一存で立ち上げたこともあり、イタリア人スタッフを雇っていたとはいえ、会社の中では「社長の一人セクション」という認識で、「外国に行きたい殿木が、自分の趣味のために好き勝手やっている」という冷めた目で見られていたのです。
それでも、海外事業で売り上げを伸ばし、会社に貢献すれば、もっと多くのスタッフに海外部門での仕事を担ってもらうことができたと思いますし、僕はそうしたかったのですが、海外に熱を注げば注ぐほど、会社のお金を使ってしまい、派手にぶち上げた割に稼げないので、社内では理解されず、完全に〝お荷物扱い〟になってしまったのです。
そこで、僕は苦渋の決断ではありましたが、潔く海外事業から撤退し、その責任を取って社長を降り、会社を辞めることにしたのです。
なぜ、会社を辞めたのか?
どうすれば、会社を存続させることができるのか?
その答えは、 『崖っぷち社長が教える! ピンチを乗り切る「なぜ?」「どうする?」の使い方』 の167~170ページをご覧ください。
↓セミナーでは、ここには書けない裏話をお話ししてます。